プロフィール

川谷響のプロフィール

このページでは、川谷がパーソナルトレーナーになるまでに至った経緯について、

長々と恐縮ですがご紹介させていただきます。

川谷響の人生録

まず始めに言っておくと、自分は運動が大の苦手でした。

川谷響は1994年、茨城県土浦市というそこそこの田舎で生まれました。

幼少期:鈍足&病弱の肥満児だった僕とスポーツとの出会い

小学校時代、川谷はクラス内でも指折りに足が遅い少年でした。

その理由は、なかなかのデブだったからです。

4つ上の兄貴が野球をやっていて、練習帰りに夕飯をバクバク食べているのを見て、

『負けてたまるか!』と無駄な対抗意識を燃やし、兄貴と同じくらいの量を負けじとバクバク食べていました。

お陰様で給食の時間では大食いキャラの称号を勝ち取り、それと同時に女の子には太っちょのアダ名を与えられました。

おまけに、当時の川谷はものすごく身体が弱い子供でした。

どれくらい弱かったかというと、月1、2回は熱を出して3日(長い時は1週間くらい)寝込んでいて、

病院で点滴を打ちながら過ごすことが何度もありました。

扁桃腺持ちだったということもあるかもしれませんが、特に小学校低学年の頃の記憶は学校生活よりも、病院生活の方が強く記憶に残っています。

【鈍足肥満児からスポーツ少年に】

その当時、母親がそんな自分を見かねてサッカースクールに通わせました。

それだけじゃなく、水泳やテニス、水球といった色んなスポーツを日替わりで習わせました。

最初の頃はというと、まぁそれはそれはしんどい。

なにせ体力がない・身体が重い・アップの時点でヘトヘトになる。

特にサッカーと水球なんかは、どんでもなく体力を使う競技なので、すぐにでも辞めたいと思っていました。

辞めたいと思ってたんですが、指導者の先生が優しく丁寧に指導してくれて、

ほんと少しずつですが体力がついたり、スポーツが上達してくるのが楽しくて、なんとか続けていました。

すると、身体にある変化が起きました。

風邪や病気にはほとんどかからなくなったんです。

おかげで小学校高学年から中学・高校の3年間は、ほぼほぼ皆勤賞

おまけに高校の体力テストでは3年連続で学年1位を取りました。

病弱の肥満児だったあの頃からは想像もできないくらい、丈夫で健康な身体になりました。

高校時代:6年連続関東大会出場を途切れさせた部活のエース

そんなスポーツ万能健康少年に変わった川谷は、高校時代幼馴染に薦められたハンドボール部に所属していました。

全国大会レベルではありませんでしたが、毎年関東大会には出場していて、県内ではそこそこ名の知れた強豪校でした。

そこで川谷は、2年生からエースとしてレギュラー出場していました。

病弱で運動嫌いだったあの頃には、スポーツでエースになれるなんて考えてもみなかったですが、体力も技術もついて、

同級生や後輩にも優秀なメンバーが集まっていて、今年も関東大会出場が期待されていました。

ですが、自分たちの代で、その期待を裏切ってしまいます。

2年生の頃、先輩と一緒に出ていた試合に出ていた時は、とにかく得点を量産していたエース川谷が、

高校最後の大会でスランプに陥りました。

高校最後の試合では全く点を決めることができず、6年連続になるはずだった関東大会出場を逃し、あっけなく引退しました。

歴代の先輩方、一緒に戦った同級生、支えてくれたマネージャー、そして応援してくれた両親たちの期待を裏切った

あの時体感した挫折感は忘れもしません。

あの時、なぜ点が取れなくなってしまったんだろう
なぜ普段のプレーができなかったんだろう
なぜ最後まで走りきれなかったんだろう

眠れなくて、授業も全然耳に入らなくて、心に大きな風穴が空いたような感情が何日も続きました。

大学時代:選手生命の限界を機にスポーツからフィットネスの道へ

そんな高校時代散々な思いをした川谷は、この挫折感から逃れたくて、死に物狂いで勉強しました。

ハンドボールで自分が活躍できて、もう一度夢を追いかけられる大学に行くために。

そして川谷は、スポーツの名門私立と謳われている順天堂大学スポーツ健康科学部(駅伝で有名な大学です。ゲーム会社ではありません笑)に入学しました。

そこにもハンドボール部があり、現役の夢を諦めきれなかった川谷は入部を決意しました。

しかし周りの同級生はというと、ほとんどが関東上位や全国大会常連の強豪校出身の人ばかり。

高校でエースだったのに、必死で練習したのに、

3年生の終わりまで試合のコートでプレーすることも、ベンチに入ることもできませんでした。

『死に物狂いで大学に入って、必死に練習したのにこんな結末になるのか。。。』

そう思った時に、ある不安が立ち込めました。

『あれ?自分将来なにしよう。。。』

今まで部活にばかり打ち込んでしまったせいで、何も考えず二十歳を迎えようとしていました。

大学を出たら社会に出る。でも、運動以外何もしてこなかった自分がこの大学4年間を終えた先に、一体何ができるっていうんだろう。

そんな不安が芽生えたとき、祖父の死を思い出しました。

【健康の大切さを教えてくれたじいちゃんの死】

自分のじいちゃんは、80歳くらいに癌で亡くなりました。

飲食店を経営していて、ふくよかで、親分肌で、よく釣りに連れてってくれた優しいじいちゃんが、

亡くなる直前にはガリガリに痩せてしまい、朦朧とする意識の中で、最後には『怖い 怖い』と言いながら息を引き取りました。

もちろんじいちゃんの死は悲しかったですが、それよりも自分が見ていて辛かったのが、残された家族の姿でした。

皆、身も心にもぽっかりと穴が空いたように、体調を崩したり、親戚のおばさんにも癌が見つかったり、偶然とは言い難い負の連鎖が起こりました。

その時自分は、ある2つのことに気がつきました。

それは、

人の不健全な死は、周りの大切な人の健康も害してしまう

ということです。

それに気付いた時、

『自分がこれまでやってきたスポーツの力を、周りの人の健康に役立てられるかもしれない』

と思いました。

これを機に、川谷はパーソナルトレーナーという道を目指しました。

大卒から今まで:本質的なフィットネスの価値を求めて

それからの川谷というと、

  • 筋トレや栄養の本を読み漁り
  • バイト代をつぎ込んで数十万超えるセミナーに参加し
  • 会いたいと思った先輩トレーナーに都内だろうが関西だろうが会いに行き
  • 大学内で一番厳しいと言われるゼミに入ってトレーニングの研究に没頭し
  • 部活終わりにほぼ毎日ジムで筋トレをし…etc

今振り返ってもアホみたいな行動量で、とにかく身体の事を勉強しました。

いろいろ勉強して思ったことは、巷に出回っている健康やダイエットの情報は間違えだらけだということ。

流行り廃りのある健康法が軒並み取り上げられ
根拠の曖昧なダイエットメソッドがメディアで取り沙汰され
正しい知識を持たない(未経験アルバイトの)トレーナーがフィットネスクラブで接客をしている

このままじゃ人生100年時代ともいわれる現代の人々の健康が危ない!

周りにいる家族や大切な人が、誤った知識で健康を害して、身近な人を悲しませてほしくない!!

そう思った川谷は、より本質的な知識・より本質的な健康を伝えたいと思い、大学卒業後は筑波大学院体育学専攻に進学しました。

その後都内の某パーソナルジムに約3年勤め、(途中で途中でうつ病にかかりながらも)現場指導を重ね、今に至ります。

お陰様でこれまで1000人以上の方々の身体の悩みと向き合い、問題解決のサポートをさせていただきました。

こんな人生を送っている川谷ですが、あなたの悩みの問題解決をサポートさせていただけるなら、是非お気軽にご相談ください(^^)

経歴

2013年

順天堂大学スポーツ健康科学部在学中に某フィットネスジムでトレーナー活動を開始。

自身もハンドボール部に所属し、選手として全国大会にも出場する傍ら、チームのトレーナーとしても活動。

2016年

筑波大学院体育学専攻に入学。内科系スポーツ医学分野で動脈硬化と生活習慣病の予防・改善をテーマにした研究活動を行う。

ボディデザインスタジオ目黒フィットネススタジオD-boxにてパーソナルトレーナーとして活動。

2017年

・運動指導者のためのビジネスコンテストベストブレインウェルネスアワードにて最年少ファイナリストとして登壇し、特別賞を受賞。

2018年

・ネット場で不特定多数の支援者から資金を募るクラウドファンディングで100万円を調達し、つくば市柴崎に暮SHIFTを創業。

・筑波大学アスレティックデパートメント(AD)チームのサポートスタッフとして、男子ハンドボール部のストレングス&コンディショニングコーチに拝命。

テクノパーク桜商店会副会長に拝命。地域密着の健康イベントの企画や運営に携わる。

2019年

・つくば市横町にて運動と食の健康施設ma*n*ma villageをオープン予定(6月中旬)

認定・保有資格

・健康運動指導士
・PHIピラティスインストラクター(Mat 1&2修了)
・IASTM SMART TOOL 認定
・体育施設管理士
・順天堂大学 スポーツ健康科学部 スポーツマネジメント学士号
・日本赤十字ベーシックライフサポーター

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