プロフィール

茨城県つくば市のパーソナルトレーナー川谷響のプロフィール

川谷響のプロフィールをご覧いただき有難うございます。

ここでは川谷響の経歴と、川谷が習慣作りを専門とするパーソナルトレーナーになるまでに至った経緯をご紹介させていただきます。

ただすみません。思いの丈が溢れすぎて、かなり長めとなっております(笑)

でも、このページを開いてしまったが最後です。

どうか責任を持って、ページを閉じず最後までお付き合いくださいませm(__)m

経歴

  • 2013年、順天堂大学スポーツ健康科学部在学中に某フィットネスジムでトレーナー活動を開始。自身もハンドボール部に所属し、選手として全国大会に出場する傍ら、チームのトレーナーとしても活動
  • 大卒後筑波大学院体育学専攻に入学。内科系スポーツ医学分野で動脈硬化と生活習慣病をテーマにした研究を行う
  • 院在学中、運動指導者のためのビジネスコンテストベストブレインウェルネスアワードにて最年少ファイナリストとして登壇し、特別賞を受賞
  • 院在学中、ネット場で不特定多数の支援者から資金を募るクラウドファンディングで105万円の資金調達に成功し、つくば市柴崎に暮SHIFTを創業
  • 筑波大学男子ハンドボール部のストレングス&コンディショニングコーチに就任し、全国制覇に貢献
  • テクノパーク桜商店会副会長に拝命され、地域密着型のイベント企画や運営に携わる
  • 2019年5月、株式会社ORIGINESSを設立し代表取締役に就任
  • 2019年7月、つくば市横町にて運動と食の複合型健康施設マンマビレッジをオープン

認定・保有資格

  • 順天堂大学 スポーツ健康科学部 スポーツマネジメント学士号
  • 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 体育学専攻 体育学修士号
  • 健康運動指導士
  • PHIピラティスインストラクター(Mat 1&2修了)
  • IASTM SMART TOOL 認定
  • 体育施設管理士
  • 日本赤十字ベーシックライフサポーター

人生録①〜病弱で鈍足の肥満児から皆勤賞のスポーツ少年へ〜

パーソナルトレーナー川谷響の幼少期①

昔々、茨城県のとある市に、ふんぞりかえって座りながらカメラ目線を決めるぽっちゃり少年がおりました。

そうです。少年時代の川谷です(笑)

川谷は小学校時代、親も友達も認めるデブでした。

川谷には4つ上の兄がいたのですが、野球少年だった兄の食べる量に負けじともりもり食べ、家でゲームばかりしていたら、

お陰様でもりもり上にも横にも大きくなりました。

パーソナルトレーナー川谷響の幼少期②

川谷の人生史上、最も芸術的な二重あごを持っていました(笑)

周りの同級生と比べてもひと回り大きい体だったので、力持ち系キャラとしてそれなりに友達に仲良くしてもらっていたのですが、

体も丈夫だったかというと、全くを持ってそんなことはありませんでした。

川谷は、毎月1〜2回は風邪や病気をして学校を休むくらい病弱な少年でした。

毎回熱が出てなかなか下がらない時は、つくばにあるメディカルセンター病院まで点滴をうちにきて、

学校と病院を行き来するような生活を送っていました。

そんな少年の体を変えたスポーツとの出会い

小学校中・高学年あたりから、親や友達の勧めで様々なスポーツを経験する機会がありました。

  • サッカー
  • テニス
  • 水泳(と水球)
  • バスケットボールetc…

毎日日帰りに違うスポーツをしてるのかってくらい、年がら年中習い事や学校のクラブ活動でカラダを動かしてました。

カラダを動かすこと自体は嫌いではなかったのですが、とかく川谷はご覧の体型。

とにかく、足が遅い!体力がない!

すぐにバテてはランニングの列の最後尾にいき、どうすればサボれるかということばかり考えていた気がします(笑)

ですが、どのスポーツも途中で諦めることなく、小学校を卒業するまで続けました。

(あ、でも水球だけはあまりの過酷さとコーチが怖くて半年で辞めましたw)

あの頃の記憶は定かではありませんが、デブ周りの目を気にする自分を、なんとか変えたいという気持ちが強かったのかもしれません。

で、そんな川谷がどうなったかというと、

  • 中学校ではハンドボール部に入部しキャプテンを務め
  • 高校時代はハンドボール部のエースとして県3位&関東大会出場
  • 高校で実施する学内体力テストで3年連続学年1位に
  • 中学・高校共に皆勤賞

体重も標準レベルになり、とかく健康で丈夫なスポーツ少年へと生まれ変わりました。

人生録②〜3年間部活でベンチにも入れなかった大学生が筋トレで大逆転した話〜

そんなこんなでスポーツ万能少年となった川谷は、大学でもスポーツを学んで、スポーツの職に就きたいと思い、

私立の体育大としてそこそこ有名な順天堂大学スポーツ健康科学部に入学しました。

勉強は正直言って、運動しかしてこなかったので全くできませんでしたが、推薦がもらえるレベルでもなかったので、

それはもう、部活を引退してから吐きそうなくらい机にしがみついて勉強して、なんとかギリギリ合格しました(笑)

大学でも競技は続けたいと思い、ハンドボール部に入部しました。

ところが、ここで川谷の中では大きな挫折を経験します。

周りの圧倒的なレベルについていけなかった3年間

当時同級生で入部した部員は10人、彼らの経歴はほぼ全員、全国大会出場か関東上位レベルでした。

県大会3位で鼻高になっていた田舎のスポーツ少年は、県外からきた周りのエリート集団に圧倒されました。

推薦で入った選手は1年生のうちからバンバン活躍し、一般入試で入った部員もそのスキルを買われて続々ベンチ入りをしていきました。

その一方で川谷はというと、3年生の冬までベンチに入ることすらありませんでした。

競技力が振るわなかったことはもちろん、練習中に何度も足首を捻挫して、思うように練習ができなかったことも影響しました。

中学ではハンドボール初心者ながらキャプテンを任され、高校では1年生のうちからエースで活躍していた自分が、

全く日の目を見ることなく3年という歳月を過ごしました。

圧倒的なまでの周りと自分との差に、あれだけ大好きだった部活動を、生まれて初めて辞めたいと思ったのは今でもよく覚えています。

次々入ってくる力のある後輩にもユニフォームをとられ、追い抜かれていく劣等感に苛まれました。

筋トレを続けたことが唯一の救いに

でも、当時の川谷を唯一支えてくれていたものがありました。

それは、筋トレです。

3年生まで怪我が多く、ろくに練習ができなかった川谷は何をしていたかというと、ひたすらにカラダを鍛えていました。

練習が始まる1時間前からジムに来て、練習中もその後も(なんならオフの日も)ひたすら筋トレをしていました。

周りの部員には『ジムに住んでるの?』と言われるくらい(笑)、筋トレをすることが習慣になっていたのです。

周りには『こいつは何を目指しているんだ?』という目で見られていましたが、でも、その時の川谷にはこれしかなかったんです。

川谷 響
ハンドボールのスキルで勝つことはできない。でも、誰よりもカラダを強くすれば武器になるかもしれない!

そう自分に言い聞かせて、バカの一つ覚えですが黙々と筋トレに励みました。

パーソナルトレーナー川谷響の大学1年生時代

当時の川谷(若気の至り感全開ですみませんw)、この頃はまだ筋トレ始めたてでガリガリでしたが、

パーソナルトレーナー川谷響の大学4年生時代

大学4年生になる頃には体重80kg(身長は176cm)、体脂肪率は常に3〜5%以内をキープしていました。

加えてこの時くらいから、ただ筋トレをするだけでなく、

  • どんなカラダの使い方をすれば怪我をしないカラダになれるか?
  • どんな食事を意識すれば疲れにくく、パフォーマンスの高い状態を維持できるか?
  • どういう風にケアすれば痛みに悩まされずプレーができるか?

など、ボディメイクだけでなくカラダのメンテナンスやコンディショニングにも興味を持って、

学外のセミナーや勉強会にも参加するようになりました。

その結果、最後に運が川谷に見方をしてくれました。

パーソナルトレーナー 川谷響の大学ハンドボール選手時代① パーソナルトレーナー川谷響のハンドボール学生時代

最後の代となる4年生の代では、念願のユニフォームを着て、スタートメンバーとしてコートに立ち、

全国大会であるインカレの舞台で活躍させていただくことができました。

筋トレすればレギュラーになれるとは決して言いませんが(笑)、それまでの川谷の馬鹿正直で直向きな努力を、

周りの方々が評価してチャンスをくれたおかげだと思っています。

その当時の監督やキャプテン、コートに立つ自分を声を枯らしながら応援してくれたベンチメンバーやスタッフの皆には、本当に本当に感謝してします。

人生録③〜トレーナーの道を歩むも、うつになって健康を害した2年間〜

そんな甘酸っぱい(いや汗臭い?笑)青春時代を過ごした川谷は、卒業後はトレーナーの道を歩むことを決めました。

川谷 響
これまでの自分の経験と知識を生かして、社会の役に立つにはトレーナーになるしかない!

これが川谷のパーソナルトレーナーとしてのキャリアのスタートです。

ただここで川谷は、普通にジムに就職してトレーナーをやっても、尖ったトレーナーにはなれないと考え(笑)、普通ではあまり考えられない策に出ます。

それは、

大卒後そのまま大学院に進学して、フリーランスの活動をしながらパーソナルトレーナーをやる

というものです。

大学の4年間(中高も入れたら10年間)部活しかしてこなかったもんですので、もっとカラダに関する正しい知識を深めたい。

その上で、トレーナーとして現場に立ち、クライアントの目標達成を全力でサポートする実績を積みたい。

こうした想いを胸に、川谷は地元茨城県のつくば市にある筑波大学院人間総合科学研究科博士前期課程体育学専攻(肩書きが非常に面倒w)に進学しました。

そして、幸いにも東京都内でパーソナルトレーニングジムを経営しているトレーナーの師匠と出会い、

そこで約2年間業務委託のパーソナルトレーナーとして修行をすることになりました。

しかしまたしてもここで、川谷は人生の転機となる大きな挫折を経験します。

短期ダイエットで変わらないクライアントを見て

つくばの大学院で研究をしながら、都内まで通って働くのは正直容易ではありませんでしたが、

自分で決めた道だからなんとしても食らいついて、絶対に院を修了してトレーナーのスキルも一流にしてやろうと初めは意気込んでいました。

そしていよいよ、都内でのトレーナー活動が始まりましたが、初めはひたすらに師匠のパーソナルトレーニングを見て学ぶ日々。

ふむふむ確かに勉強にはなるけど、これじゃいつまで経っても実戦経験は積めやしない。

ということで、都内だけでなくつくばにある短期ダイエット専門のパーソナルトレーニングジムでも業務委託で働くことにしました。

ですが、そこで行っていたパーソナルトレーニングは、マニュアルに沿った形の決まりきったメニューをひたすらこなすやり方でした。

もちろんメニュー自体は良いものなのですが、その人の個別性に合わせたり、目的に合わせてオーダーメイドできるのが、

パーソナルトレーニングの魅力だと思っていたのですが、そこではイメージと異なりました。

そのメニューがハマる人は確かに痩せるしカラダも変わるのですが、ハマらない人は一向にカラダが変わらない。

さらにそのジムは、2ヶ月集中のダイエットプログラムを提供していて、いわゆる某○イザップのような指導スタイルでした。

なので、やめてからリバウンドする人や、途中で挫折してしまう人も少なくありませんでした。

こうすればもっと結果が出るはずなのに、、、そう思ってもマニュアル通りにやらなければいけないもどかしさがありました。

とはいえそこでの経験は、接客や実務経験として大変貴重な経験を積ませていただいたので、そのジムの代表やスタッフの方々には今も大変感謝しています。

修行先のパーソナルジムで課せられた超ブラック業務

つくばで委託させていただいていたジムは約半年ほどで辞め、その頃ようやく都内の修行先のパーソナルジムでも現場に立たせてもらうチャンスを得ました。

しかし、そのジムで師匠から課せられた仕事はというと、

  • 3ヶ月・週1回でクライアントに圧倒的な成果を出すこと(ダイエットなら-10kg以上など)
  • ダイエットだけでなく、病院や整体でも良くならない頭痛・肩こり・腰痛といった慢性不調を根本から良くすること
  • 集客は全て自力で行い、且つ毎月必ず新規顧客を獲得すること

でした。

明らかに、業務委託のスタッフに求める仕事ではありません(笑)

(というか正規雇用のスタッフでもあり得ないんじゃないかという課題です。。。)

今ではこの経験が良くも悪くもすごーく活かされているので、恨み辛みは1ミリもありませんが、

当時の川谷は、もう本当に辛かったです。

毎週のミーティングでは、今のクライアントの成果状況について、思うような成果が出ていないクライアントがいたら、

『なぜできないんだ!?』『どうするんだ!?』と、これまた徹底的に追い詰められました。

さらにほぼ毎日師匠から、『新規顧客の進捗は?』とLINEがきて、新規が取れてない月は電話で2〜3時間徹底的に説教される日々を送っていました。

川谷以外にも2人弟子のスタッフがいましたが、精神的に病んでしまい仕事を休んでしまう弟子もありました。

そして川谷も、しばらく追い詰められるうちにカラダに異変が起きました。

言葉が上手く喋れなくなってしまい、日中は猛烈な睡魔に襲われるにも関わらず、夜は全く寝付けない状態になってしまったんです。

家族や友人にも『響大丈夫か?』『今の響は見てられない』と心配されるようになっていました。

病院で検査をしてもらったわけではないので確証はありませんが、症状から察してうつ病の症状であることは明らかでした。

しかし、委託の契約上大学院を修了するまでの2年間は絶対続けないといけない規約を交わしており、逃げようにも逃げられませんでした。

というより、先ほども言ったように全ては自分で選んだ道、どんな困難に直面しても乗り越えると決めたので、逃げるわけにはいきませんでした。

ただ一度、大学院に退学届の書類を出す直前まで行ったことはありました。

諦めたい、逃げ出したいと何度も思いましたが、『この2年頑張れば、自分は誰にもなれない存在になれるはず』と自分に言い聞かせて、

少しずつ考え方と行動を変えていきました。

周りの心配してくださった方々にも、たくさんサポートしていただきました。

そして2年後、そのパーソナルジムと大学院を卒業する頃、

当時そちらで指導させていただいていたお客様からのメッセージです。パーソナルトレーナー川谷響のお客様の声(40代女性)

このような嬉しい声をいただくようになり、

集客はというと、自分の勤務日はパーソナルトレーニングの予約がほとんど取れない状況になっていました。

一方研究の方はというと、おかげさまで筑波大学院を修了することができ、研究した論文が海外のジャーナルにも出せるレベルだと教授に言っていただき、

現在英語の論文に翻訳して投稿しているところです。

(これはこれで今大変苦労しております。汗)

最後に〜これまでの人生を振り返って分かったこと〜

はい。そんなこんなな人生を川谷はこれまで歩んできました。

他にもたくさんの苦悩や、もちろん良いこともありましたが、総じて分かったことがあります。

それは、

考え方を変え、習慣を変えれば、人生は変えられる

ということです。

小学生の時も、スポーツになんとか打ち込み続けたから、弱い自分を変えることができました。

大学生の時も、本気で取り組めるものに取り組み続けたから、夢の舞台に立つことができました。

駆け出しトレーナーの時も、途中で諦めずに自分が信じた道を突き進んだから、人を幸せにすることができました。

全ての川谷の経験は、地道なことを積み重ねた習慣によって成り立っていると振り返って思います。

これらの経験が、川谷がご提供する長期資産型パーソナルトレーニングの原点です。

ご興味を持っていただけたら是非、川谷のパーソナルトレーニングの理念を覗いてみてください(^^)

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