川谷響の経歴やトレーナーになるまでのストーリーを赤裸々に記載しております。
経歴・実績・理念
経歴
- 株式会社ORIGINESS代表取締役CEO
- 茨城県つくば市にある運動と食の健康総合施設【マンマビレッジ】代表パーソナルトレーナー
- 筑波大学体育スポーツ局ヘッドストレングス&コンディショニング(S&C)コーチ
- 順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツマネジメント学科卒業
- 筑波大学院博士前期課程人間総合科学部体育学専攻修了
- 健康運動指導士・健康経営アドバイザー・体育施設管理士
実績
- 順天堂大学在学中に国内ジャーナル、筑波大学院在学中に海外ジャーナルに掲載できるレベルの研究成果を上げる
- 筑波大学男子ハンドボール部のS&Cコーチに就任し全国優勝に貢献。その後は筑波大学体育スポーツ局提携のヘッドS&Cコーチとして大学所属の計14部活のフィジカル指導を統括
- 筑波大学体育スポーツ局公式トレーニング【筑トレ】を監修。総再生回数は150万回超え
- 全国的フィットネス雑誌【Tarzan】の特集記事及びエクササイズの監修
- ソフトバンク株式会社公式トレーニングアプリ【AIスマートコーチ】のフィジカルトレーニング動画監修
- スポーツプラザ山新スタジオプログラム【AccelZ】のコアバランス監修
- 独立後3年間で運動初心者からトップアスリートまで述べ5000人以上を指導。これまでに東京オリンピック出場選手や年商1000億円規模の会社経営者などを指導。
- ダイエット成功経験がないクライアントが3ヶ月で-8kg、その後半年でトータル-13.5kgの減量を達成
- 他にもサポートしたクライアントの約8割が3ヶ月でマイナス3〜13kgの減量に成功し、そのほとんどがリバウンドすることなく体型を維持・向上させている
- さらに肩こり・腰痛・不眠・慢性疲労・高血圧など様々な不調を改善する人が続出
- 決して無理のない”ウェルネス×習慣化”の提案で、時間がない・続かない人ほど自信に溢れた自分になれる習慣構築メソッドが定評
理念
“100歳になってもやりたい事を実現できる人と社会を創る”
川谷がトレーナーになるまでのストーリー
第1章:病弱で鈍足の肥満児だった少年時代
昔々、茨城県のとある田舎に、ふんぞりかえって座りながらカメラ目線を決めるぽっちゃり少年がおりました。
そうです。少年時代の川谷です(笑)
川谷は小学校時代、親も友達も認めるデブ少年でした。
川谷には4つ上の兄がいたのですが、野球少年だった兄の食べる量に負けじともりもり食べ、家でゲームばかりしていたら、
お陰様でもりもり上にも横にも大きくなりました。
なんと芸術的な二重あごを持っていたことでしょう(笑)
周りの同級生と比べてもひと回り大きい体だったので、力持ち系キャラとしてもてはやされることもありましたが、
逆にデブキャラとして周りの友達にいじられ、バカにされることも少なくありませんでした。
そのうえ川谷は、毎月1〜2回は風邪や熱を出して学校を休むくらい病弱な少年でした。
それも1日2日で治れば良いのですが、一度体調を崩すと大体3日から1週間は熱が下がらないので、その時は病院で点滴をうちに行って、学校と病院を行き来するような生活を送っていました。
なので学校の友達には『響久しぶり〜』『お、珍しいく学校きたね』と、学校のレアキャラ扱いを受けるようになっていました。
学校の授業もどんどん遅れを取り、友達に宿題や教科書を見せてもらうことが頻繁にあったことを今でも覚えています。
<スポーツとの出会いで丈夫なアスリートに転身!>
そんな病弱な自分を見計ってか、川谷の両親は自分に体力を付けさせようと様々なスポーツ教室に連れて行ってくれました。
サッカー・テニス・水泳・水球・バスケットボールなどなど、一つのスポーツに縛ることなく自分がやりたいと思うスポーツをなんでもやらせてくれました。
もちろん体力もなくて足がすこぶる遅い川谷でしたから、ウォーミングアップの地点でバテバテになるし、
なるべく動かないポジションを志願して(サッカーだとゴールキーパーとか)、サボることを考えていました。
でも、ほぼ全てのスポーツを小学校卒業まで続けることができました。
その理由は今は定かではありませんが、2つだけ明確に覚えていることがあります。
一つ目は、スポーツ万能になって、女の子にモテたかったこと(笑)
二つ目は、デブ呼ばわりしてバカにしていた友達をなんとか見返してやりたいということ。
そうやって日毎に違うスポーツをしてほぼ毎日運動を継続した結果、
- 小学校6年生の頃に体重は標準よりやや痩せ気味に入り
- 中学校ではハンドボール部に入部しキャプテンを務め県大会ベスト8
- 高校時代はハンドボール部のエースとして県3位&関東大会出場
- 高校の学内体力テストで3年連続学年1位に
- 中学・高校共に皆勤賞で無遅刻無欠席
今までの自分では想像ができないくらい丈夫で、スポーツ万能といえる身体を手に入れることができました。
第2章:何も考えず体育大に進学し挫折。目標を見失った学生時代
スポーツ万能少年となった川谷は、大学に行っても競技を続けたいと思い、部活ありきで志望大学を探していたのですが、
部活しかやってこなかった人間は体育大にいくしかないだろうという安易な考えから(笑)、順天堂大学スポーツ健康科学部に入学しました。
ただそこで川谷は、大きな挫折を経験します。
県内では有数の強豪校でエースをしていたし、大学でもきっとレギュラーで出られるだろうタカを括っていた川谷ですが、
蓋を開けてみたら先輩や同級生は関東上位から全国大会出場レベル、自分よりも遥かに競技レベルの高い選手たちが集まっていました。
進学してもしたからどんどん優秀な後輩が入ってきて、
結果3年間、レギュラーはおろかユニフォームももらえず、ベンチにすら入ることができませんでした。
中学も高校も部活一筋でこれまでやってきて、それ以外の取り柄が何もなかった自分にとって、ここで味わった挫折はかなり大きいものでした。
周りの同級生や後輩はどんどんと試合で活躍するのに、自分はコート外の応援席でメガホンを持って声を出すだけ。
しまいには練習中に足首を何度も何度も捻挫し(少なくとも累計10回は)、練習すらまともにできない日々が続きました。
もう、選手としてやれるのはここまでかと、自分の中で踏ん切りを付けるしかありませんでした。
ですが、それだけで挫折は終わりませんでした。
選手生命を諦めたとして、それ以外にじゃあ自分に何ができるか?この先どうしたいか?を考えたときに、
全く何も浮かびませんでした。
身体を動かすことしか脳がなかった(まさに脳筋の)自分が、この大学生活を終えて社会に出た時に、一体何者になっているのだろう。
全く想像がつきませんでした。
体育教師?いやいや子供に運動を教えたり休日返上で部活を見たりするのはちょっとやりたくない。
企業に就職?いやでも資格も社会経験もない体育大生は、
営業周りでこき使われるだけと先輩から聞いたし、好きでもない仕事で定年まで働くのなんて嫌だ。
どうすればいいんだろう。
目標を見失い、大学を卒業した先の未来が全く見えない不安の中、人生の夏休みと揶揄される大学時代をただただ遊び呆けることに逃げていました。
それでも拭えない不安と失望感に駆られ、気がつけば同級生に『なんで川谷ってそんなに暗いの?』と言われるようになっていました。
そんなとき、あるパーソナルトレーナーさんとの出会いから、川谷の人生が変わりました。
<健康作りを通して人を幸せにする道を決意>
パーソナルトレーナーとは、簡単に言うとお客様にマンツーマンで運動のやり方や食事の取り方を指導して、身体作りの目標達成をサポートする仕事です。
世間でよく知られているところのライザップさんのような仕事ですが、川谷が出会ったそのパーソナルトレーナーさんがやっていることは全く違いました。
ハードでガシガシな筋トレや糖質抜きのキツイ食事制限などをさせることは一切なく、身体の本質(姿勢・呼吸・動作など)を捉えて、
根本的なカラダの問題解決を、正しい運動と食事の指導で導くことをされていました。
そのトレーナーさん自身、学生時代は棒高跳びの選手として全国屈指の高校に行くも、競技レベルの振るわなさに挫折。
しかし、その経験を生かしてパーソナルトレーナーとしての地位を積み上げ、当時千葉No.1のパーソナルトレーナーと称された方でした。
自分と同じような境遇から這い上がり、自分の強みを最大限に生かしながらやりたい仕事で人に価値を与えているその人の生き方に、
川谷は雷に打たれるような感動を覚えました。
『こんな生き方がしたい!自分の強みを生かして人を幸せにしたい!!』
そう想い決意してから、
教科書を開けば1分で寝落ちしていた自分が、述べ500冊以上の専門書と300書以上の学術論文を延々と読み漁ったり、
バイト代を全額注ぎ込んでセミナーや資格の講習会に参加したり、
そのパーソナルトレーナーさんを始め身体や健康に関わる仕事をしている個人事業主や経営者のもとへ何度も足を運んで話を聞いたり(そしてご飯をゴチになりw)、
まるで人が変わったかのように、学ぶことに没頭していました。
第3章:自分にしか提供できない価値を求め、研究と現場の両立へ
大学在学中カラダの勉強に明け暮れ、なんとしてもパーソナルトレーナーになってやろうと進路を色々と考えていました。
通説であれば、一旦はジムやフィットネスクラブに就職し、そこで下積みをして5〜10年くらいしたから独立するという流れで、周りの人にもそう勧められました。
しかし、日本のトレーナー業界において正社員で働くのは、正直やりがいの面でも給与の面(とにかく安い。。。)でも、あまりベストな選択とは言えませんでした。
自分はもっと、自分にしか提供できない価値を提供して、クライアントに喜んで対価を支払ってもらえるトレーナーになりたい!
そう思った川谷は、大学卒業後さらに専門性を磨くために大学院に進学し、都内にあるパーソナルジムにインターン生として弟子入りして、
その傍らフリーのパーソナルトレーナーとして独立する道を選びました。
スポーツ医科学を先進的に研究し、体育大学の中では国内トップの偏差値を誇る筑波大学院に猛勉強してなんとか合格しました。
そして、研究室にこもって論文を読んだり実験に没頭する日もあれば、都内に週2〜3回出向いてトレーニング指導を行い、
休みの日には地元の知り合いに声をかけモニターになってもらい、1回500円でパーソナルトレーニングを行っていました。
研究と現場を行き来し、毎日朝早くから家を出ては、日付が変わるまで家に戻らないハードな日々を送っていましたが、
この時ほど充実した日々はなかったように思えます。
途中あまりの過酷さに身体を壊したり、精神的に病んでしまったこともありましたが、トレーナーとして唯一無二の存在になりたい、
クライアントに圧倒的な成果と信頼を得てもらえる存在になりたいと想う一心でした。
振り返ってみると、
大学院は無事に修了し、海外ジャーナルに掲載できるレベルの研究成果をあげることができ、
都内ジムでは毎月新規顧客がきて予約が取れない状態に。
個人で独立してサポートしてきたクライアントさんを含め、3年間で述べ2000人以上の方々の身体作りに関わらせていただくことができました。
第4章:”習慣”を変える大切さに気づく
ここまで人の身体と健康について研究を重ね、たくさんの人々の身体作り・健康作りに関わってきて、さらに気づいたことがあります。
それは、
本来、人にとって身体作り・健康作りは、一生涯に渡り続けるものである
ということ。
パーソナルトレーナーとしてマンツーマンでトレーニングを教えることにはとてもやりがいを感じていましたし、
何より喜んでくれるクライアントさんの笑顔がうれしかったです。
ですが、どうしても川谷の中で腑に落とし切れない感情がありました。
本当に自分はクライアントの生涯の健康(幸せ)に貢献できているのか?と。
クライアントさんとのやり取りの中で、頼ってもらえるのは有難いけど、トレーナーに頼りっぱなしになってしまうと、
続けられなくなったときにリバウンドしたり、セッションの間が空いてしまうと運動をやらなくなってしまったり、
成果を提供できているけど、本質的にはクライアントをトレーナーに依存させていることに気がつきました。
たとえ3ヶ月で10kg痩せたとしても、しばらくしてからリバウンドしてしまっては意味がない。
トレーナーがついているうちは運動ができても、1人になった途端続けられなくなってしまうのでは意味がない。
それではその人が一生涯自分の体型や不調に悩まない未来を提供できない。
これだけダイエットや健康の情報が溢れる現代において、なぜ未だ多くの人が自身の体型や体調に不安を抱えて生きているのか?
その答えとして、“習慣”がありました。
その答えを知ったのは、あるクライアントさんからのLINEメッセージでした。
<3ヶ月で-8kg、卒業後半年で計-13.5kg痩せたクライアントからの気づき>
川谷が都内でパーソナルトレーナーをしていた頃サポートさせていただいていたクライアントさんからこんなLINEをいただきました。
クライアントの年齢は54歳。運動経験もなければダイエットに成功した経験もない方でした(あと慢性的な腰痛に悩んでいました)。
筋トレは嫌いだからあまりやりたくないと言うので、無理なトレーニング決してさせませんでした。
その代わり、痩せるためにどういう食事の選び方をすればいいのか?途中体重が増えてしまった時、どう考えて対処すればいいのか?
そして何より、クライアント本人がどうなりたいのか?という明確なゴールを引き出して、現状から少しずつ理想に近づくための行動プランを一緒に考え続けました。
本人が『キツイ!』『やりたくない!』と思うことではなく、『やりたい!』『こうなりたい!』と思える思考と行動が積み重ねられるよう誠心誠意サポートしました。
その結果、
3ヶ月のセッションでマイナス8kg痩せ(腰痛は最初の1〜2回のセッションで解消)
ご卒業された後も自らの意思でダイエットを習慣化し、半年でマイナス13.5kg
という更なる成果を上げられていたのです(体型はほぼ20代の頃の身体に戻ったとのこと)。
送っていただいたクライアントさんのアフター写真
(ビフォーがないのが残念ですが50代でこの身体はすごい!)
この方の言葉をもらった時、自分が本当にクライアントに提供したい価値はこれだ!と思いました。
つまり、痩せさせるだけじゃなく、その人が自らの意思で痩せ続けることができ、生涯自分の体型や不調に悩まないようにすること。
身体を変えるだけでなく、その人の思考や行動にアプローチし、理想の状態でい続けられる習慣作りをサポートすること。
そこから川谷は、自身の指導スタイルを根底から見直して、よりクライアントが自律してダイエットや運動継続に取り組める方法を研究し続けてきました。
川谷の想い
健康に不安を抱えながらも『時間がない』『続かない』『何をして良いか分からない』と諦めてしまう人こそ、一生涯体型や不調に悩まなくなって欲しい。
幼い頃から病弱で誰もが認める肥満児だった川谷でも、正しい知識を身につけ、それを習慣化させることで、
今ではほとんど風邪を引かなくなり、不調が起きても自力ですぐに改善することができ、そして何よりベスト体重を維持することができるようになりました。
これまで約500冊以上の専門書、300書以上の学術論文を読み漁り、さらに現場で2000人以上指導し、
研究と実践を重ね続けた再現性の高いデータから、あなたに最適な「ウェルネス×習慣化」を提案します。
最後に 〜目指す未来〜
川谷はこの活動を通じて、自分自身のミッションである
『体型や不調に一生涯悩まず、やりたいことを思う存分実現できる健康で豊かな人と社会を創ること』
この実現のためのお手伝いを、生涯に渡ってしていきたいと思っています。
現代は長寿化が進み、誰もが長生きをする人生100年の時代です。
そんな現代においてなくてはならないもの、それが『健康(ウェルネス)』であり、またそれを持続させる『習慣力』です。
この長生きの時代において、すべての人に不安に溢れた生き方ではなく、希望と豊かさに満ちた生き方を選んでほしい。
誰よりも川谷自身が、この長生きの時代を最高にワクワクして生きたいから、もっとそのワクワクを分かちあえる仲間が欲しいのです(^^)
一緒に、人生100年時代を、楽しみ尽くしませんか?